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子供時代のすさんだ食生活
まだ年端もいかない子供の食生活は
集中力に大きな影響を与えるという。
集中力のなさは思考習慣と大きな関係に
あり、無心で居られるならば対象物に
集中して取り組むことが出来るはずだ。
今思えば子供の頃の私の食生活は乱れ、
集中力のなさは酷いものであった。
小学校低学年の頃には両親が離婚して、
父は男手一つで私達三兄弟を育ててくれた。
建設現場の大型重機を操る仕事を
していた父は、私達を分け隔てなく
愛情深く育ててくれたが、
子育てに関しては不器用だったようだ。
8つ上の姉は気が向けば料理を作って
くれたが、夕方になると私は自転車に
乗って近所の弁当屋まで走って行く
ということが度々あった。
子供の選ぶ食事と言えば
「唐揚げ、ハンバーグ、ステーキ」
といったようなものばかりである。
私は特に好き嫌いがある方ではないが、
多分に漏れず好んで野菜を食べるような
子ではなかった。
父は仕事が休みの日曜日になると
朝早くに出かけていき、両手に紙袋を
ぶら下げて帰ったきたかと思うと
朝マックをドーン‼️とテーブルの上に置いた。
2つ上の兄と「こんなに食えね〜よ〜」
と言いながらも嬉々として食べた事を
憶えている。
今になって調べてみれば、安価な材料は
コストダウンと害虫対策の為に農薬まみれの
お粗末な育てられ方、遺伝子組換え食品は
大量生産と病気には強くなったかも
しれないが、人体への影響が良いもので
あるとは到底考えられない。
添加物たっぷりの材料や、合成洗剤
(界面活性剤) で洗われたサラダなど、
そんな食事を幼い子供に大量に与えるとは
考えただけでもゾッとするが、
子供の喜ぶ顔見たさの父なりの愛情表現で
あったのだろう、当時はそういった情報量が
あまりにも少なすぎた。
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27歳、マクロビにはまる
初めてのヴィパッサナー瞑想10日間コースを
経験した事がきっかけで、27歳の頃には
マクロビオティックにハマり、それから
半年間はビーガンを貫いたが、生活が不安定な
未熟な精神修養者の食事制限は、陰湿で過剰な
までに一般の食品や外食に対して嫌悪感を
示すようになり、身体には良かったのかも
しれないが心は過剰なまでに神経質になって
いった。
それでも肉魚断ちの食生活は感情に
見るからに変化をきたし、怒るようなことが
殆どなくなったのだ。
それはきっと肉食動物が狩りの際には
牙を剥いて獲物を襲うのに対して、
草食動物は植物を食べる際に襲う必要が
ないことに起因しているのだと思う。
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41歳、ビーガンになる
当時の個人的なビーガンブームは生活環境の
変化から半年程で終わり、それからは特に
気にするような事もなくごく一般的な食生活
を営んでいたが、それから14年後に臨済宗の
お寺で半年間修行していた頃は精進料理を
食べていた。
お寺での食生活は基本的には肉魚は出ない
のだが、ご供養 (寄付) して頂いた際には
勿論食べていた。
お寺での食生活は住職である老師の
ご威光にあやかって中流階級かと思う程の
贅沢なものであった。
貼案 (台所) にはご供養 (寄付) された甘い
お菓子の数々がいつでも溢れかえっていた
から、自分を律するのには一苦労した。
昔は僧堂での食事が質素だったことから、
脚気 (かっけ) になる危険性があったというが、
私の居たお寺では下手すりゃ糖尿病に
なりかねないくらいであった。
お寺に入山して4ヶ月が経った頃、
当初の予定である半年の修行期間も
後半戦になった事に気づき
「やばい、下山まであと2ヶ月しかない…」と
思い立ったのをきっかけに、それ以来
「肉、魚、砂糖、加糖 (蜂蜜など) 、お酒、
添加物、小麦粉、マーガリン、お菓子」
といった食材を極力排除した結果、
まず大きな変化として性欲がなくなった。
それとほぼ同時に長年常識となっていた
初老ばりの頻尿の回数も減り、動画やゴルフ
などの趣味に費やす時間も殆どなくなった。
感情的にイラつくようなことが起きても
すぐに気づくことができて苛立つ感情は以前
よりも早く治るようになった。
若い頃のマクロビ体験とは違って
今は過剰に神経質になることもなく、
一般的な食事に対しては"必要ない"
といった感じで、"嫌悪感" という視点で
はなくなったのだ。
今となっては食用動物の育てられ方や
野菜の農薬、ポストハーベスト問題とは概ね
"気が合わない" といったような理由から
選択しなくなっている。
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変化の兆し
お寺から帰って来てからというもの、
私の車の運転が非常にゆっくりになったと
言って妻は大喜びしている。
確かに先を急ぐ気持ちもなくなったし、
のんびり走っている方が気楽に感じるよう
になった。
東京で仕事をしていた時はとにかく
タイムイズマネーと考えていたし、
実際そのテンションでいたから
稼ぐ事もできた。
その悪習は仕事を辞めて約一年経って、
食生活の改善と共に落ち着いて来たようだ。
身体の落ち着きは心の落ち着きと密接に
関連している事だろう。
一挙手一投足の全ては結局のところ
心の現れであるはずだ。
お寺にいた頃に食生活を改善してから、
これを書いている時は四ヶ月目であるが、
瞑想中の集中力はお寺に行く以前よりも
格段に強くなり、毎朝晩の一時間づつの
瞑想が楽しみになった。
日中も思考習慣に苛まれる時間は減り、
無心で居られる事が無意識で行われる
ようになってきた。
しかし、重要なのは
"何を食べるかではなく
どんな気持ちで食べるか"
であると思う。
要は心の持ちようで全てが決まってしまう
のではないだろうか。
その為にもやはり無心でいる事は
私にとって14年前からの最大関心事であり、
最重要課題となっているのだ。