​​求道者は黙して嘘をつく​…

「真理は "今ここ" 無心にあり!」無心から世間を眺める一風変わった賢者の視点をARTな写真と共に洞察していきます。

「自分を愛してあげる理由」

 

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自分を肯定する

 

自分のこと以上に他人を、

或いは何か別の対象を愛するということなど

あり得ないのではないだろうか。

 

 

なぜそう言えるのか…。

 

 

それでは極端な2つの例で考えてみよう。

 

 

ある人は「子供の為なら死ねる」というし、

ある人は「自分が嫌い」だからと言って

自殺する。

 

 

上記の様に、どの様な状況においても

その決断を下したのは自分である。

 

 

子供の為に命を投げだそうと決意した、

その意見に賛成したのは間違いなく自分で

あるし、なんらかの理由で自殺しようと

思ったその意見に賛成したのも

又自分ではないか。

 

 

「賛成する」というのは明らかな肯定

であり、肯定的に受け入れるというのは

明らかに「愛」を感じる状態である。

 

 

ゆえにそれがなんであれ、

自らが頭の中で喋り続け、

そこからどの様な行動が派生しようとも、

それは受け入れられた、

承認された意見であるのだし、

結局は自分の意見を、つまり自ら創造した

概念を、それは則ち自分自身を愛している

といってなんら相違ないのである。

 

 

ゆえに人は必ず「愛」の渦中にあり、

「愛」を選択し、

「愛」の表現を為さざるを得ないのである。

 

 

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高次の愛

 

しかし、その愛の表現が自分自身の

喜びだけに向けられている内はより

高次の愛を知ることは出来ない。

 

 

"自分が嫌い"

 

"人生が辛い"  

 

"つまらない"

 

 

と言って自殺を決断した時の愛は

自分だけが満足する為のものだ。

 

 

我が子を守ろうとして命を投げだす時の愛は

子供の人生を想ってのものだ。

 

 

つまり自分以外の人の為に為された行動だ。

 

 

まずは自分の意見、立場を尊重し、

他人よりも自分を優先し、普段から褒め、

欲望を肯定し、認め、愛してあげることから

始めれば、自らの内に愛が充電され、

自然と他人にも愛を与えられる

ようになる。

 

 

ゆえに自分を愛した次の段階では他人や

社会に対する慈しみの気持ちが現れる。

 

 

他者への慈愛、その表現こそがより

高次の愛へと至る道であり、

私達が共存する社会全体のより良き成長を

考えるのならば、やはりまずは自分を

しっかりと愛してあげることが何よりも

重要になるのである…🙏

 

 

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