​​求道者は黙して嘘をつく​…

「真理は "今ここ" 無心にあり!」無心から世間を眺める一風変わった賢者の視点をARTな写真と共に洞察していきます。

「愛の体験に感謝する」

 

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自然な感謝

 

真の感謝とは本来意図的にするような行為

ではなく、心の底から自然と沸き起こる

愛の体験である。

 

 

お金に困っている時に誰かが

工面してくれたら心底感謝できるものだ。

 

 

しかし、慣れてしまったごくありきたりな

日常において、その様に感謝できることは

少なくなったりする。

 

 

ましてや憂鬱な気分であったり、

体調不良や生活苦に心が煩わされている時

などは論外である。

 


冒頭にも話したように、

「感謝とは愛の体験」である。

 

 

それは普段は忘れ去られているあなたの

本質に戻る行為である。

 

 

あなたの本質とは愛であり、意識ともいい、

魂とも呼び、神なのである。

 

 

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自らの本質に触れる


感謝 = 愛であるから、感謝している時の

あなたは自分自身の本質に触れている

ということである。

 

 

感謝して心地良い心の在り方を感じることに

よって、自らの本当の姿を、

真実の在り方を思い出せるのだ。

 


初めは儀式的に「ありがとう」

「感謝します」

と言っても特に感謝の念も起こらず、

表面的に言葉のシンボルを唱えるだけ

かもしれない。

 

 

心の籠らない言葉には喜びや感動は

感じられないから、

それは本当の愛の波動ではないのだが、

その様に行おうとする動機は神からの、

自らの本質からの啓示であるから、

愛に溢れた自分自身の本質がそのことを

放っておくようなことはない。

 


目の前にある一つ一つの物事、

自分の体のあらゆる箇所、

今まで出会った人々や親兄弟、ご先祖様、

これまで迷惑をかけた人々、

自分を裏切った相手など、

あらゆる対象に対して心がそっぽを向かずに

一念に感謝する事が出来れば、

数分で必ずや喜びや感動や満たされた

愛の感情を体験するだろう。

 

 

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そしてその祈りは鏡で自分を見ながら

行うとより良い。

 

 

そうしていれば必ず自然と笑顔になるから、

笑顔でいると脳は楽しいことをしていると

勝手に思い込むそうだから、

いつしか楽しくなってくるのだ。

 

 

例え祈りの最中に心がそっぽを向く

ような事があっても、日々忍耐強く行うのだ、

集中力と忍耐力無くしてエゴを超越することは

できないのだから。

 


あなたはこの情報によって新たに気づきを

得たのではなく、

いつもそこにあった愛の在り方を

再確認したのである。

 


全ての人を愛する必要があるわけではなく、

全ての人は愛なのである。

 

 

全ての物事を愛する必要があるわけではなく、

全ては神の臨在であるのだから

愛そのものである。

 

 

全ては紐の膜であるから、

全ては愛なのである。

 

(超ひも理論。宇宙に存在する全ての元になっている最小単位のものは紐の膜が振動するという理論。

それは "意思、エネルギー、スピード"といった

概念であり非物質である)

 

 

なぜならあなたが欲したものごとは

それがどんなものにせよ自分にとって

必要なものであるから、

自分が欲して自分を満たすがゆえに

愛なのである。

 

 

ゆえに愛とは神のことである。

 

 

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ゆえに全ての存在は誰かしらの意思が

具現化したイメージの産物であるから、

全ては愛と言えるのだ。

 

 

愛の渦中に常にいる


今までのあなたの考えは、全てあなたが選択し

受け入れて創造したものであり、

全ては神の創造物であるから、

あなたがこれまでどの様に考え

行動してきたとしても愛の真っ只中に

存在していたのだ。

 

 

本来良いも悪いもどこにも無い。

 

 

常にど真ん中の中庸であるのだ。

 


しかし人生には多くの失敗と成功が

日々訪れるが、

それは「正解 (おおよそポジティブな概念) 」

知る為に「間違い (おおよそネガティブな

概念) 」を犯したのだ。

 

 

つまり余程簡単なテストでもない限り初めての

テストで100点を取ることが出来ない

ようなものだ。

 

 

「採点の結果70点でした…」

そうやって間違いを否定されるからこそ

残りの30点を学ぶことが出来るのだ。

 

 

つまりその改善の瞬間には意識が

持ち込まれるのであり、

意識の拡大こそが人生を謳歌する

(うまくいかす) 一つの手段なのだ。

 


本来自分を愛する必要などはなく、

自分は愛そのものであると確信すること。

 

 

そしてその指針とは、

自分の生活や立場をおとしめるような

考えや行動、楽しめず、喜べず、独り善がりの、

罪悪感を感じ、後悔し、気分を害したり、

他人に迷惑をかけ、奪うような、後味の悪い、

間違っていると感じたのなら、

今後はその思考、行動、言動を選択しない事。

 


それとは対照に、

楽しく、嬉しく、感動し、充実感があり、

平和であり、ポジティブに感じ、

他人とも分かち合えるような

思考や行動や言動だけを選択するようにすれば、

やがてはそれが当たり前になり、

全てに愛を見出せるようになるであろう。

 

 

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無心であることを選択する


自らの自覚意識が愛であり神であるならば、

自分が対象物を認識した瞬間

そこに意識のエネルギーは与えられたのであり

=認められたのであり

=肯定であるから

=存在したのだから

=そこに愛は表現されているのである。

 


又、自分から放たれた愛のエネルギーは必ず

自分に返ってくるのだから、

愛を受け取ることになる。

 


しかしそれは

"他人に優しくしたのに相手に嫌われた"

というようなことでは測れない。

 

 

愚かな人や一方的な恋愛を基準にして

考えるのは良くない。

 

 

折角放った愛を他人の反応のせいにするような

真似はしない方がいい。

 

 

疑うなかれ、詮索するなかれ、

あなたのその思考習慣は

所詮生まれ落ちた環境の中で育まれた後天的な

もので、真実からは程遠い。

 

 

例えどれだけポジティブに考えてみたところで、

それは結局は二元論の一方であり、

ネガティヴさに蓋をしただけなのだ。

 


だからこそ無心 (言語的無思考) であれ。

 

 

そうなる為に自覚意識を保っておれ。

 

 

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五感の感覚を享受するべく

意識するベクトルを五感に向け、

同時に第六器官である心が言語的無心で

あるのかもつぶさに観察していれば、

これまでしてきたような何かしらの

影響に対する反応としての思考のノイズが

現れた瞬間に気づくことができて、

その思考は気づいた瞬間に姿を消す。

 


そのようにして心が穏やかになれば、

"直感の真実の声" を見分けられるようになる。

 

 

その直感には確信を持った手応えがあり、

ワクワクするようでポジティブな印象がある。

 

 

そして啓示はイメージとして

なされることもある。

 

 

それは言語的思考ではなく、

映像として認識されるのだ。

 

 

全ては愛である


誰のどんな愚かな言動や創造物も、

その人が自らを満たす為に欲して具現化したが

ゆえに本質的には愛なのである。

 

 

しかし自分よがりの愛は真理のかなり手前で

右往左往しているのである。

 

 

ゆえに全てが愛とはそういうこと。

 


あなた自身が愛であることに

気付いているならばどこを見ても

愛を感じることが出来る。

 

 

その事実が腑に落ちるまで熟考し、

その愛に焦点を当て続けながら周囲を見渡す。

 

 

そうすることが自然と行えるようになった

暁にはエゴは完全に支配下に置かれ、

覚醒した意識の視点からこの人生という

物語を眺めることになる。

 

 

その時、分別の境は消え、善と悪、上と下、

私とあなた、といった二元論はワンネスの

中に納まり、遂には悟りの境地を

体験するのだ…🙏

 

 

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