情報が横溢する現代にあって、
目に映り、耳に聴こえてくる情報はどの人も
対して変わらないのではなかろうか。
勿論興味の対象はそれぞれであるから、
選択する情報量と情報の種類に個人差は
あるであろうが、要は何を選ぶかの違いである。
様々な情報に晒されると、
心が刺激されてあれやこれやと欲しだし、
逆にあれやこれやを必要ないと判断し、
とかく頭で考えすぎるようになって
しまったりする。
情報化社会は人類の進化を確かに促したし、
逆に進化の結果でもあるのだが、
果たしてそれによって幸せの価値観は
以前ほどより良くなったのだろうか。
ライフスタイルの選択肢が増えた分、
個性を発揮する機会は確かに増えたが、
逆に雑多な情報は自分にとって不要なものまで
抱え込んでしまってはいないだろうか。
誰にも自分に似た特性を持つ人を見極める
能力は元来備わっており、
赤ん坊も相手を赤ん坊と認識し、
コアラもコアラを認識するし、
昆虫や微生物ですらその能力を持っている。
そして、その自分なりの人を選ぶ能力は
たんに人を見極める際にだけ用いられている
訳ではなく、情報や状況や物を選ぶ際にも
発揮されている。
しかし、何かを手にいれてただの一度も
使わずに結局は必要無かったと手放すのは
恐らく人間だけである。
そうなってしまったのも、
自由に思考できるようになったからであり、
しかしその思考は多くの人にとってもはや
無意識のうちに行われていて、
それをコントロールする術を知らなかったり
するものだから、もはや自由とは言えない
のである。
どう考えようと思考 (言語的思考) は過去の
産物である。
知らないことを思考することはできないし、
「あいうえお」からなる言葉の羅列は過去に
習った記号である。
(思考=言語的思考。直感、
インスピレーションは別)
勿論、新たなる創造には材料が必要で
あるから、
(ケーキを作るのに粉と砂糖が必要ということ)
あなたの人生は思考やイメージすることに
よって展開していくのだけれども、
それではいつまで経っても過去の影響を
引きずってしまい、それに囚われることになる。
新たな価値観を手に入れることで、
幾分方向転換できるにせよ、
その手にした価値観もいつか別のより良いと
思われた価値観にとって変わられる
ことであろう。
勿論、それこそが成長プロセスで
あるのだけれど…。
それでは一体何が一番良い価値観、
良いやり方だというのか。
知識を得続けることか、科学を信じることか、
音楽を聴くことか、許すことか、
好きなことだけすることか、愛することか、
会社に行くことか、認めることか、
神の名を唱えることか、笑うことか、
仕事に生きることか、寧ろそんなことは
考える必要がないのか…。
それぞれピンときたやり方を選ぶので
あろうし、むしろあなたの行く道に間違いなど
はないのだけれど、私が最も重要だとしている
やり方は「なにも考えない」ことである。
それはつまり心が何も考えていない状態を
意識している状態であり、空であり、
自己認識であり、ゆえに愛であるのだ。
それはなにも仕事の段取りや、
明日の予定などを考えるなと言っているの
ではない。
失敗や、注意された事に対して
反省・改善するなと言っているのではない。
自らの考えを世に表現するな、
と言っているのではない。
起きている間中常に思考し続けるその習慣を
やめるべきだと言っているのだ。
つまり「自分は今なにも考えていない」と
はっきりと自覚出来ている状態を意識的に
作り出すのだ。
しかしそれはボッーとして自覚がない状態
ではない。
それでは眠っているのとなんら変わり映えは
しない。
何も考えなければどんなに楽なことか。
そして信じられないかもしれないが、
その瞬間こそが最も人間としての本質が
成長しているのであり、
その瞬間こそはエゴが光に晒されて大人しく
なっている、見張られている状態なのだ。
(エゴ=自我。生れ育った周囲の環境や情報に
よって育まれた記億からなる無意識的な
反応をする心の状態)
光とは意識 (自覚意識) のことである。
凡人から聖者になる段階では「明け渡し」
という段階を経なければならない。
その「明け渡し」こそ思考習慣を、
つまりエゴを手放して、自己認識して自らの
心に光を当てている状態なのである。
あなたが聖者になりたいかどうかは別として、
より良い人格を求めて様々なやり方を実践
しているのであれば、
(ありがとうと唱えたり、笑顔でいるなど)
「無心・無思考」にチャレンジしてみては
いかがだろうか。
なぜなら言葉はどこまでいっても二元論の
片側を担ってしまうからだ。
"笑顔でいる" というのは相手を意識した
行為であり、一人の時にも行うのであれば、
それはエゴのご機嫌取りなってしまうのだ。
「無心・無思考」こそはど真ん中の中庸に
あって、そこから私達の全てが始まって
生かされているのだ。
この中庸こそが真のエネルギーであり、
普遍にして不滅の誰もが持ち、
求めている愛の源であるのだ…🙏
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