汝自身を知れとは…
「汝自身を知れ」とは古代ギリシャの
都市国家デルポイのアポロン神殿の入口に
刻まれた格言である。
格言の著者は諸説あれど、有名なのは
ソクラテスとピュタゴラスだろう。
「汝自身を知れ」
禅ではこれを「直指人心」と言い、
キリスト教ではこう説く…
「心はよろずの物よりも偽るもので、
はなはだしく悪に染まっている。
誰がこれをよく知ることができようか。
主である私は心を探り、思いを試みる。
おのおのに、その道にしたがい、
その行いの実によって報いをするためである」
エレミヤ17:9,10
なぜ自分を知る必要があるのか…
自分を知ることの何がそんなに
重要なのか…。
スケールを変えて考えてみれば、
会社を経営するにあたっては金銭の
出入りや取引先情報、会社の強み、
従業員の得手不得手など、経営戦略上上手く
立ち回るにはそれらの情報を
知っていなければならない。
スポーツにおいても選手の個性や能力、
ひいては監督の考え方やキャリアまで
知っておいて損することはないはずだ。
いや、寧ろ知っておかなければ上位の成績を
収めることは出来ない。
ということで、自らを知ることが人生を
謳歌する秘訣であることは間違いない。
自己啓発セミナーで行われるような、
過去の人生を振り返って書き出すという
面倒な作業を好んでする人も中には
いるだろうが、私はその道にピンと来ないし、
臨済禅の修行でもそのようなことは
しなかった。
今この瞬間無心であれ…
では一体どのようにして汝自身を知り、
自らの心を指し示し、
主であるわたしは心を探り、
思いを試みるのだろうか。
それはつまり今この瞬間に
行われるべきである。
肉体的な五感を注視しつつ、
精神的な思考の働きである第六感をも
見ておくという、双方向に向けて
意識のベクトルを向けておくのである。
しかし普段から思考習慣に苛まれて
生きてきたこれまでのやり方を手放すのは
容易ではないだろう。
これはある種の神経衰弱のような途方もない
努力が必要となるが、
無心 (無思考) でいることのコツを
ほんの1秒でも掴むことが出来たのならば、
そこに無心であることを認識出来たのならば、
外の世界のどこにも注意を向けていない
その無心の状態がいかに気楽なものであるか
を実感出来るはずだ。
そしてその瞬間こそが、誰にとっても
人格的な成長を果たしているという事実を、
キリストは、ソクラテスは、達磨大使は、
かのように語ったのであり、
それはいつの時代にあっても、
どんな境遇に生まれ育っても、
どこで誰と過ごしていようが行うことが
出来る沈黙の行である。
人間としての真の成長を遂げる為に必要な
知識などは本来どこにも無く、
自らの内にあるのだというこのシンプルな
事実こそ真理と言えるのではないだろうか。
美は、愛は、知恵は、
光は、真理は、エネルギーは、
シンプルである。
事実宇宙に遍満する全ての存在は超紐理論で
語られているように、
存在の最小単位は紐状の膜がゆらゆらと動く
非物質の "意思・スピード・エネルギー"
であり、それ程シンプルなものなのだ。
最初の意思とは、全てを知っていた神が
唯一持ち得なかった体験を欲した所から
始まり、その思考、考え、意思が物質化して
ビックバンが起こり、今では私達の思考が
世界を形作っているのである。
思考が現実化していくのである。
だからこそ仏陀は全ては無である
(非物質である)と説いたのだ。
ゆえに無心こそ私達の根源であり、
"汝自身を知る" とは、生まれてこの方蓄積し続けてきた記憶というデータの一群を白日の元に晒す行為なのだ。
仏陀の言うように全てが無であるならば、
問題は私達の側にあるのではないだろうか。
ゆえに "汝自身を知り、自分自身を知る"
ということは、
世界平和の第一歩であり、争いの無い社会、
世界平和を願う気持ちがほんの少しでも
あるのなら、
まずは自分を知ることである…🙏
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