神との対話
「神との対話」という本をご存知だろうか。
この本の著者は、ある日神に対して投げかけた
質問に対する答えが神からのメッセージとして
聞こえるようになり、筆記によってその問答の
内容を書きとめ、Q&A方式で綴られている
とても強力なパワーに溢れた本である。
先日この本を読んでいたら、その文章の中で
神が、「この本だけが私からのメッセージ
ではなく、あなたに聞く気さえあれば全ての
環境を利用して伝えることができる」
と書いてあったので、ならばと思い、
本を下に置いて周囲に神からのメッセージが
あるものかと観察してみることにした。
すると本を置いた傍らにAquariusの
ペットボトルがありハッとした。
そういえば地球は2000年頃からAquariusの
時代になったと聞いたことがあるので、
調べてみると面白いことが分かった。
「age of Aquarius (水瓶座の時代)」
これまでの人類の歴史は長きに渡って争い
奪い合いが続き、物質主義や権力支配が
色濃く表れた魚座の時代はようやく
終わりを迎え、
2012年の冬至から始まった水瓶座の時代に
なってからというもの、宇宙からの
エネルギーは強く繊細に人類に
働きかけてきているという。
水瓶座が象徴するものは
”平和・自由・平等・博愛精神" であり、
それは多種多様な価値観を受け入れて、
国や人種・宗教を超えた横のつながりを
大切にする愛と友情の時代である。
それはクリスタルのように透明で、
真実でしか生きることの出来ない時代である
という。
従来の支配的な縦社会よりも、仲間などと
横のつながりで生きることが喜びとなり、
一人一人が自立して、自分の人生を
自分で選び、本当の自分を生き、
その責任を自分でとることができる時代。
それぞれが自らの『霊性』に目覚める時代の
ことである。
世界的な規模の社会全体が新しい時代の
ポジティブな潮流にのり、個人個人が持つ
ユニークで個性的で無邪気な自分を
生かしつつ、グループや社会全体に役立てる
時代でもある。
地球全体の移行に伴って、今まで内側に
隠されていた汚れも表面に浮上する為、
災害や争いといった形でエネルギーの浄化は
現れてくるのだという…。
とまあいくつか調べてみると大体こんな
感じの内容であった。
神の声は聴けるのか
これはこれで神からのメッセージを感じる
面白い出来事であるのだが、Aquariusに
気づいたのとほぼ同時に別の疑問も湧いて
きた。
「私には "Aquariusの時代" という予備知識が
あった。
しかし、もし私がAquarius (新たな時代) の
意味を知らなかったり、
英語を読めなかったのなら、
それをメッセージとして受け取るようなことは
しなかったはずだ。
ではこの場合盲目の人に、読み書きのできない
人に対してメッセージはどの様に
伝わったのだろうか」
神が「彼は盲目だから音で伝えよう」などと
考えたりするだろうか。
「彼女は読み書きが出来ないから直感に
語りかけよう」などと配慮するのだろうか。
愛の化身であるはずの神が聞こうとしている
者にだけ語り、そうでない者を放っておくの
だろうか。
それならば献身的な宗教者はみんな神の声
を聞けるのだろうか。
「この本だけが私からのメッセージではなく、
あなたに聞く気さえあれば全ての環境を
利用して伝えることができる」
結局は聞く気のない者には伝わらないという
ことなのか。
まぁそれは確かにそうである。
やる気のない野球部員にいくら熱血指導した
ところで、馬の耳に念仏を聞かせる
ようなものだ。
では一体神からのメッセージとは万人に対して
どの様にして伝わるのか…。
神との対話によると、
それは直感として気づき、
心の中にイメージとして見ることができるのだ
という。
なるほど。
ならばその閃きに気づくためにも普段から
頭の中でぐるぐると駆け回る思考の
連想ゲームはやはりやめておくべきである。
例えばそれは、騒がしい人混みの中で
誰かに呼ばれても煩くて気づけないような
ものである。
静かな自然の中に居てリラックスしていれば、
誰かの問いかけに対してしっかりと
向き合うことができるのだ。
神はいつでも私のそばに居て語り掛けて
いるのだ。
全ては神の一部であり全体なのだ。
ゆえに存在している時点で神はもう
顕現しているのだ。
神の声が聞こえない理由
あなたにそう思わせないもの、
感じさせないものとは、
あなたのその極めて個人的な考え方の
せいである。
それぞれの見聞してきた情報、経験
というのは極めて個人的なもので、
狭く限られたその情報の枠の中にあって
それらは都合よく解釈され、
日々インプットしたその情報を頭の中で
反芻してこねくり回す。
そのようにして育まれた極めて個人的な
思考習慣の中に本質的な神の姿はない。
神を感じ、神と対峙し、神とコミュニケート
したいのであれば、
意識していることを感じ、意識と対峙し、
意識とコミュニケートすればいい。
指であれ足であれ首であれ、
意識的に動かしているその事に気づいている
時は最も近く神を感じている。
指を動かしているその動作を無思考で
客観視することができれば神と対峙している。
静かに目を閉じ、思考していないことを
自覚できれば神とコミュニケート
しているのだ。
初めはなんであれ意識的に注意深く
行わなければならず、慣れるまでは失敗
ばかりするだろう。
しかし慣れてきたならばこっちのもので、
子供の頃あんなに苦労した箸の持ち方も
今では自由に扱えるし、
何度も転んだ自転車にも今では優雅に
乗れることだろう。
だから自覚意識することにも
慣れてきたならば、
何をも求めずリラックスして
ただただ在ればいい。
無心であって閃きを期待せずに待つのだ。
ゲームのシナリオは放っておいても展開して
いくから、現前しているゲームの進行に
ただひたすらリラックスして楽しんで
参加していればそれでいいのだ。
中庸の手前、二元論的解釈から見れば、
打ち寄せる波は上下の二つの極みに見える。
だからしてどんなに苦しく辛い事が訪れても、
「あぁ、今は波の底に居るんだなぁ、
今回は中々底が深いぞ…しかしやがてこれも
過ぎ去るんだし、その分次のうねりも
デカイ!」
と肯定的に思っておくべきだ。
大丈夫だから、
何があっても絶対に大丈夫だから。
「究極のゴールは神として全てを
体験することになっている」(神との対話より)
と神はそうおっしゃるのだから、
何をも恐れることはなく、
威風堂々と凛として、思う存分思いっきり
楽しんで、苦しんで、味わって、この人生ゲーム
を一緒にやりきろうではないか…🙏
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