良きものと悪しきもの…
個人の意識が主に三次元にある時、
"上下" "左右" "良し悪し" "あなたと私"
といった二元論に視点は束縛される。
個人の意識、視点が
そのように捉えるからこそ、
人や社会や物事から良き影響を受け、
悪い影響に苛まれる。
波動レベルで言えば、
"良きもの" は振動数が早く振り幅も短いが、
"悪しきもの" は振動数が遅く振り幅も大きい。
つまり"良きもの" とは
芸の細かい気の行き渡った物事であり、
"悪しきもの" とは
粗雑な気の効かない物事なのである。
その観点から広く世間を見渡してみれば、
人々は、仕事は、社会は、
より良いサービスを求め、求められている。
それはつまり "気が効いている"
ということであり、
良きものへと至る道は、否定を通じて
意識的に改善を繰り返していった結果、
良くなっていくのである。
気の効いたサービス、美味しい料理、
優しい振舞い、言葉遣いの人からは
ポジティブな印象を受ける。
"悪しきもの" とは
テストでいう所の低い点数であり、
それゆえに注意点が多く、
"わかっていない" つまり
"悟っていない" 状態である。
暴力的な言動を好む人からは、
粗くて粗野なトゲトゲしいネガティブな印象を
受ける。
否定を避けてしまう理由
否定というのは注意することであり、
注意には痛み、嫌悪感が伴う。
なぜなら否定、痛み、嫌悪感といった
ニュアンスは、
二元論的にはネガティブな側になるからであり、
誰もが心地良さを求める衝動を
本質的に持っているからこそ、
痛み、嫌悪感といったネガティブな感じを
避けようとするのである。
それぞれの瞬々刻々なされる選択は、
"常に良かれ" と思ってなされている
のではないだろうか。
あなたは常に居心地の良さを求めて
振る舞っているのである。
何気なく姿勢を変えることや
寝返りを打つこと、
家庭や職場や学校での居場所、振る舞い方…。
居心地の良さを求める衝動は、
まず衣食住の確保の為に発揮される
生存欲が根本にある。
本当は大好きな絵を描いていたいのに
生活費を得る為に仕方なく仕事に行く、
というのはそういうことだ。
否定の刃
言葉にせよ行為にせよ、否定には痛みを伴う。
改善には痛みが伴う。
荒々しいいびつな形の常識を否定の刃で
削っていくのだ。
"角を削り角を削り" と極限までそうして
いくと、形はすっかり丸くなる。
人間が丸くなるとはそういうことだ。
丸 = 円 = 星 = 正解 = 正しさ = ポジティブ = 愛
結局私達は、人々や社会に対して
より良きものを求めているのであり、
愛を求めているのだ。
ゆえに否定とはつまり愛のことである。
肯定する事は言うに及ばず、
否定も愛であるならば、
全てが愛であるではないか。
全てが愛であるならば
そこに"在る" という時点で、
それは愛であろう。
"在る" に対して "無い" という。
"不要な物は消える" というのは
社会においてもそうであるように
宇宙の法則なのだ。
しかし、全てである神のスケールにおいては
"無い" ことも包含しているから
そこもまた愛に含まれるのだ。
意識 = 気 = エネルギー = 真理 = 知恵 = 覚醒
= 美 = 愛 = 光 = 神の一部
目の前に展開しているはずの本来輝いている
真の美しい姿を感じたいのならば、
否定を通じて行く道もある。
そして私が語るその道とは、
自覚意識でもって自らの心を観察すること。
それによって既成概念・価値観 (意見) を
否定 =注意する。
心を観る = 価値観 (思考)に光を当てる =
思考が止まり (無分別) = ただ在る、
という状態はつまり無心である。
= 無心の状態こそはニュートラルであり、
本来の姿であり、
自然と一体化した状態である。
ゆえに無心の時にこそアナタの限られた
価値観の中では想像だにできない奇跡と閃き
のエネルギーがその人生に姿を
表してくれるのだ…🙏
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