笑顔の理由…
いつも笑顔を絶やさない人がいる…。
以前の私は
「なぜあの人はいつも
笑顔でいられるのだろうか…」
と、こう思っていた。
「初対面の人に接した際に何故微笑むことが
出来るのか…」
と、そう訝しんでいた。
その笑顔の理由が、「好印象を与えたい」
とか、「接客業の経験からきている」といった
作り笑いであるならまだしも、
誰に対しても心の底から柔和に微笑む
聖者のような人は、何がそんなに嬉しいのか。
私は神に見つめられいる。
笑顔の人に会う度にそんな疑問を抱えたまま、
ある朝の瞑想の後に "神への感謝の瞑想" を
していると、ふと気付いたことがある。
この私というエゴを生かしてくれているのは
意識である。
( エゴ = 自我。生れ育った周囲の環境や情報に
よって育まれた記憶からなる、
無意識的な反応をする心の状態。元々の性格)
この意識がなければ私は起きていることすら
出来ず、意識的でなければ対象物の内容を理解
することも出来ない。
意識が光であり、神であるというのなら、
私に対峙した全ての人は、神のエネルギーを
常にこちらに向けているのではないか…。
意識 = 気 = エネルギー = 真理 = 知恵 = 覚醒
= 美 = 愛 = 光 = 神の一部
私に対峙した時、
その人の注意はこちらを向いている。
つまり意識がこちらに向けられているのなら、
私は神に見つめられていることになるのだ。
対峙した人が私に対してネガティブな感情
を抱き、それを伝えるべくこちらに注意を
払っていたとて、
それはその人の表面的なエゴがそうしたい
だけであって、その人の持つ意識はその瞬間
にも燦然と光輝いている。
愛はこちらに向けて放たれているのだ。
その人のネガティブな表現を感じ取って
ネガティブに反応してしまうのは
私のエゴの部分である。
その瞬間に私が自覚意識を保って無心でいて、
意識 = 愛に鎮座していれば
相手のネガティブな表現に
反応せずにいられるのではないか…。
そして、私がそのように無心でいれば、
いつしか相手は私からの愛の表現に影響を
受けるのではないだろうか…。
この洞察が正しいか否かは別として、
この理解は出逢った人に対する私の表情を
朗らかにさせ、態度を柔和にしてくれた。
この心地良い感情の体験こそが愛であり、
その時私は自らの本当の故郷を思い出し、
神がエゴである私にコミュニケートする
一つの手段であるのだとそう
思ったのである…🙏
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