​​求道者は黙して嘘をつく​…

「真理は "今ここ" 無心にあり!」無心から世間を眺める一風変わった賢者の視点をARTな写真と共に洞察していきます。

「 "意識" …神は頭に鎮座する」

 

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第六器官とは

 

人間を構成する六器官とは「耳鼻目舌触知」

である。

 

 

耳鼻目舌知は頭にあり、触感は全身にある。

耳鼻目舌触の五感の他に、

思考出来る第六器官の知がある。

 

 

脳が正常に働かなければ、これら六感の経験を

享受する事は出来ない。

つまり頭は六感を認識し、つかさどる神の役割

を果たしており、神様は頭に鎮座していること

になる。

 


"知" とは思考する心の働きであり、

言動の動力となり、インスピレーションを

受取る重要な器官であるが、

その考えるという習慣こそが逆に人生を

右往左往させる要因にもなってしまうから、

六器官の中でも最も上手に使いこなさ

なければならないのは司令塔の役割を

果たすこの "知" であるだろう。

 

 

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じゃじゃ馬 "知" を手なづける

 

ではこの "知" を一体どの様にして手なづけ、

より良く考えてもらい、そのポジティブな

言動の動因となってもらえるというのか。

 

 

第六器官の背後というか、それらを包含する

六感の体験を可能にしている、命を与えている

ものが"意識" である。

 


私達は意識がなければ目覚めていない。

つまり起きていなければ眠っているという

ことだ。

 


寝ている時に社会人として活躍出来る

ことはなく、睡眠とは充電している状態で

ある。

 

 

意識の向けたところに光は当てられ、

物事は認識される。

 


意識する、意識させる、認識する、注意する、

否定する、改善する、とは意識のフォーカスが

その欠点に向けられたことである。

 

 

改善点に気づく前は、気づいてないという

理由から、無知である。

ゆえに改善とは、暗闇に光があてられたような

ものであるのだ。

 

 

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意識 = 光 と言うのはそういうこと。

 

 

例えばこの文章を読むことに完全に注意力が

向いていれば内容を理解出来るだろうが、

逆にその時聞こえていたはずの周囲の音には

注意が向けられていなかったがゆえに、

はっきりとその内容を見極める事は

出来ないはずだ。

 


"心ここに在らず" の状態では、

どんな発明も芸術も記録も達成されることは

なかっただろう。

 


全ては意識の力がそこに向いていたからこそ

成し遂げられたのであり、

ゆえに 意識 = エネルギーと言えるのである。

 

 

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常に意識は根底にある

 

私達の外側にあって、最も身近にして命の恵み

を与えてくれるものといえば、太陽である。

 

 

太陽なくして地球の緑化、現在の様な生命の

誕生はあり得ない。

太陽は光でありエネルギーであるのだ。

 


ゆえに光 = エネルギー = 意識 となる。

 

 

 

目が悪い人は眼鏡をかけて視力を 

見えやすくする。

つまり意識的に視力に対して改善策を

図ったわけだ。

 


難聴の人も同じ理由で補聴器をつける。

 


また、食事の際は消化に良いからと言って

ゆっくり咀嚼し、美味しくするために味の調節

をする。

 


聖書や仏教聖典に始まり、世の中に出回る

教科書や自己啓発、レシピやノウハウ、

ビジネスにおけるハウツーを説明した本

の数々は、様々な手法と道筋を示している。

 

"やれこれが正しい" だとか、"やれあれは嘘だ"

などと、雑多な情報や手法に溢れていて、

どれが本当に正しいやり方なのか

分からなくなってしまうことがある。

 


しかし、その根底には常に通底するたった

一つの概念があり、それこそが "意識" すること

なのだ。

 


何をどうやるにせよ、意識の力がそこに 

向かなければ成果は発揮出来ないのである。

 

 

尊大なプライドはなぜ育つのか…


しかし本を読み、技術にしっかりと注意力を

向け、その技術を習得したとしても、

決して人格的な成長が果たされるわけでは

ない。

 


寧ろ逆に「自分は成功した」という思いから

プライドが高くなり、鼻持ちならない性格に

なったりするのである。

 

 

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偉大なスポーツ選手や金持ち、有名人、

優等生といった類いの人達が、メディアの前や

目上の人に対しては謙虚な側面を見せつつも、

目下の人に対して傲慢になったりするのは、

意識の光が自らの性格、つまりエゴに

向けられていないことの確たる証拠である。

 

 

自己分析に於いて自らの行動を変えた結果、

改善が促され成功出来たのかもしれない。

 

しかし、その作業に費やしていないその他

多くの時間に 、

「自分は成功た、アイツより優れている、

なんでも買える」

と思考していたのでは尊大なプライドが

育ってしまうのだ。

 


意識的にフォーカスする視点を自分の心に

向けるだけで、エゴはお喋りをやめる。

 

その瞬間に思考習慣である "知" はエネルギー

に触れ、人格は愛に満たされて急成長

するのである。

 


なぜ "愛に満たされる" と言えるのか。

それは改善すること、改善を促すこと、

注意すること、気遣うこと、気にすること。

 

これらこそは思いやりであり、

愛といえるのである。


よく聞く台詞に「言われなくなったら終わり」

というものがあるが、それこそ愛の無い状態

だろう。

 

 

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考えに考えて考え抜けば、確かにエゴは成長

する。

たとえそれで成功したとしても、頭の中で比較

することをやめない限り、それら極めて個人的

な情報は蓄積されていくだけだろう。

 

現代社会に溢れる情報は、もはや宇宙の塵芥

の数より多いだろう。

知識はどこまでいっても反対の極みが必ず存在

するし、それが二元論の性質であり、

三次元世界の限界なのだ。

 

 

私達人類は、コイン一枚についての完全な

情報ですら理解できないではないか。

これこそ無限に思える知識からの認知の限界

ではないか。

 

 

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自覚意識に気づき、一日の中でほんの一瞬でも

"無心を観察する、無思考に気づく"

ことが出来るならば、

その瞬間こそあなたは宇宙の偉大な真理に

触れている。

それは三次元を超えた、上下左右の極みの無い

ど真ん中の中庸に鎮座した、全ての聖者が座る

その場所に、どっかりと腰を下ろした瞬間

なのだ…🙏

 

 

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