​​求道者は黙して嘘をつく​…

「真理は "今ここ" 無心にあり!」無心から世間を眺める一風変わった賢視点をARTな写真と共に洞察していきます。

「瞑想の実践法を紹介」…その6. 只管打坐

 

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瞑想における様々な手法

 

瞑想法には古今東西様々な手法や技法

などがあります。

以下それらを列挙してみましょう。

 

 

• 皮膚など身体の感覚を感じる

• 真言を唱える (言葉に出したり出さなかったり)

• 7つのチャクラに気を留める。回す。

• 呼吸をコントロールする

• 自然な呼吸を観察する

• 視覚イメージする

• 意識を全体に広げる

• ただ在る (只管打坐)

 

 

どの瞑想法に出逢うか、

どれを好ましく感じるか、

どれが自分に合ってるかはそれぞれが

わかる事でありましょうが、

 

全てに共通しているのは集中力を保つ事であり、

集中して取り組むことは

基本中の基本にして最も困難な作業であり、

それはスタートでありゴールでもあるのです。

 

 

瞑想において最大の障壁にして最も身近な存在が

思考習慣であります。

 

 

要はいかにしてこのじゃじゃ馬を

手名づけられるかにかかっています。

 

しかし、思考の管理人であるエゴの方も

必死で抵抗してきますから、

負けじと集中力を育まなければなりません。

 

 

集中する対象物に意識の視点を向け、

思考習慣というお喋りを客観視しようと行為

しているのもまたエゴでありますが、

それは自分の中の最も強力なエリートの

面であり、向上心とも呼ばれる崇高な

キャラクターであります。

 

 

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どの瞑想法で集中力を育むのかはそれぞれの

組織や指導者によって賛否両論であります。

 

 

大体どこの組織も「自分のとこが唯一である」

と言いがちになります。

 

しかし単にそれは、悟りという山の頂上へと

登る道の途中で自分が通ってきた道、

その地点から見える景色について

語っているようなものではないでしょうか。

 

そことは真逆の場所にある道、

そこからの景色については知らないがゆえに

語れないだけの話かと思います。

 

 

しかし結局どの道を通ってきた所で

ある段階を越えれば一つの地点に辿り着きます。

 

 

それが "只管打坐" であります。

 

 

只管打坐とは…

 

只管打坐とは禅宗に見られる言葉でありますが、

別に禅宗がそう言っているだけであって、

べつの言葉でも構いません。

 

ただ只管打坐という語が最も的を得ていて

筆者にとって説明しやすいというだけの

ことであります。

 

 

只管打坐とは「ただひたすらに座る」

と言った意味で何も求めない無心無我の

境地であります。

 

 

無心無我といって意識が無かったのでは

睡眠となんら変わりませんから、

無心無我とは意識のある状態で何も

考えていないということになります。

 

 

つまり自分がいる事、確かに存在している事に

気づいている状態であり、「ただ在る」状態であります。

 

 

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何も求めていなければ

思考という言葉の一群は出てきません。

 

思考とは何かを求めた結果起こるのであります。

 

 

無思考とはつまり無心のことであり、

その時は我もないから無心無我であります。

 

しかし、それでも確かに "在る" という

存在感こそが純粋な意識の状態であります。

 

 

意識 = 気 = エネルギー = 真理 = 知恵 =

覚醒 = 美 = 愛 = 光 = 魂=神の一部

 

 

歩いていながら、歯を磨きながら、

運転しながら、洗い物をしながら、

仕事をしながら、趣味をしながらでも出来る

唯一の実践法は "只管打坐" であります。

 

それをマインドフルネスとも言いますが、

マインドフルネス瞑想は禅やヴィパッサナー瞑想が

元になっている瞑想法です。

 

 

集中力を養い、無意識で只管打坐に

鎮座する事が出来るようになった暁には

遂に王道を歩んでいます。

 

 

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最大の恩恵

 

聖者いわく、最後に立ちはだかるという

壁の存在もやはり高く、そこを超えることは

求道者にとって至極困難ではあると言います。

 

だがそこまで来た時点で、

既に一般人にありがちな外的要因に

振り回されるようなことはないのだと言います。

 

求道者の生活が一見側から見て衣食住が

ままならないような状況に陥っていようとも、

世俗の生活は苦痛ではなくなります。

 

関心が無くなるのです。

 

 

幸福や満足の芽は決して外側にあるのではなく、

常に自らの内にあってそれはいつでも

取り出すことの出来る無尽蔵の宝の蔵

なのだと理解しましょう。

 

 

常にそこにアクセスしようと試みる求道者こそ

一見世捨て人に見えがちですが、

その実"最もこだわりの強い超贅沢な輩" なのです。

 

 

よくよく考えてみれば誰もが常に

 

居心地の良さを、愛を、お金を、光を、平和を、

自由を、笑顔を、評価を、納得を、感動を、

平穏を、温もりを、成功を、注目を、

誠実さを、やりがいを、美しさを、共感を、

エネルギーを、楽しい事を、お褒めの言葉を、

仲間との触れ合いを、認められることを

 

求めているではありませんか。

 

 

それら一切のポジティブな心の有り様を、

これまであなたが経験した事のある

最も感動した瞬間のエクスタシー、

その極みの更にその上の百千万億倍上の境地を

今世のキャラ設定が求道者である者は求めて

いるのです。

 

 

その基本スタンスが "只管打坐" であります。

 

 

求道者のようなこだわりの強い人は

常に "今この瞬間" に気づき、

常にこだわるのが大事であります。

 

 

そこから得られる最大の恩恵は

言葉やイメージでは決して得る事の出来ない

ニュートラルな地点にあなたを誘う

ことでしょう…🙏

 

 

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