​​求道者は黙して嘘をつく​…

「真理は "今ここ" 無心にあり!」無心から世間を眺める一風変わった賢者の視点をARTな写真と共に洞察していきます。

「本当の人生に気づくには…」

 

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14年来の私の実践方法


私は14年程前から常に試みている実践がある。

 

 

それは

今頭の中で喋っていないという認識

(自覚意識)と、 

対象物に触れている五感の感覚を観察する」

 

という双方向に対してフォーカスを向けて

観察することを行っていて、

その間にちょいちょい

「ありがとうございます」と念じている。

 

 

自らの心にフォーカスすることで

思考習慣に気づき、

意識の視点が自分の心に向いていること

によって、エゴは白日の元に晒される。

 

そして意識そのものと対面し、

その時観察されたエゴは意識 = 愛に触れ、

やがて自らの本質が意識であると

悟るのである。

 

 

意識 = 注意力 = 気遣い = 愛で あるから、

「自分自身を観察するとは自分を愛すること」

になる。

 

 

思考習慣 (エゴ) からの脱却

 

ではなぜ自らの心を注視することで

思考に首輪をはめることができるのか。

 

 

ここで言う自分自身を愛するとは、

ただ自らをジッと見つめる意識の視点であり、

他人や社会に対して

自己の利益を最優先に考え、

且つわがままに振舞うようなことではない。

利己的な思考習慣に身を任せ、

その声の主になりきっていては、 

どこまでいっても"我がまま" である。

 

 

自らの心を注視してみると

思考が絶え間なく続いているのがよくわかる。

 


これまでは誰にも心の内を見られることなく、

そこは自分だけの聖域であったがゆえに、

どんなに偏屈で偏った考え方をしていようとも

言動によって表現されなければ、

他人に暴かれることはなかった。

 

 

他者や社会の否定的な反応がヒントとなって

言動の動因である自らの考え方を改めようと

することもあったが、

基本的にその思考は、慣れ親しみ住み慣れた

城であるから居心地は良く、

年を重ねていくにつれ、その価値観という城壁

は益々高く堅固になるばかりである。

 

 

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一般的な営みである三次元に

意識の視点が囚われ、

気づかぬうちに自らがエゴであると

思い込んでいる人は、

思考習慣に苛まれている。

 

ゆえに言葉という二元論に常に晒され、

中庸であることが出来ないがゆえに

常に "上昇か下降" の波に翻弄されている。

 


成長しようと上昇する時の意識 は、

それまでの好ましくない思考習慣に

手を加えるべく、

ポジティブに考えるよう努めたり、

ノートに思考を書き出したりして

客観的に認識してみたり、

他人を前に感情をぶちまけたりするような方法

"意識的に"心に向き合うが、

私はそんな事はせず、ごくシンプルに心の声に

目を向ける。

 

 


意識 = 気 = エネルギー = 真理 = 知恵 =

覚醒 = 美 =  愛 = 光 = 神の一部である。 

 


この本質は無心無思考の境地であり、

そここそが全ての覚者の住処である。

 

 

今までは頭の中で自由自在に声高に喋っていた

思考の主が、面と向かって意識の光に晒される

ことで、初めて自分よりも超強力な存在が、

自らの内にいたことを知る。

 


その超強力な存在とは自らを生かしている

本質であり、

その光 (無心) が顕在化するということは

自ら (エゴ) の自由がなくなると言う事である。

それを本能的に知っているエゴは、

そうはさせまいと必死になって抵抗する。

 

 

エゴはそのように思うが、しかしその実

無心無思考でいることは愛と知恵の顕在化

であるから、

人間としての人格 (エゴ) が最も成長している

瞬間なのだ。

 

 

"より良き結果を得られるようになってきた"

という認識を感じなければ

エゴは自らの立場を手放そうとは思わない。

 


それは例えば筋トレをしていて

その成果が全くわからなかったのならば

続ける理由がなくなるのと同じである。

 

 

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筋肉ならば目に見えるし、

筋肉痛を感じる事で効果が分かりやすいから

エゴも認識しやすいが、

こと自らの心に向き合う実践においては

成果は見えずらい為に、モチベーションを

保ちづらいのだ。

 

 


絵を描いたり、スポーツに取り組んだり、

勉強したりといった、

何か対象物に取り組んでいる時以外にも、

"無心無思考" の状態でいられるのだと知り、

自らの心を自覚するコツを掴んでいくにつれ、

エゴは大人しくなっていき

自然と心は軽く穏やかになっていく。

 

 

真の在り方を知る為に

 

"無心無思考" であることの心地良さ、

その恩恵をひとたび知れば自然とそちらに

惹かれていくのだが、

しかし思考習慣はそれでも

大人しくなってくれるわけではない。

 

 

それは脳がこれまでの習慣に従って

正常に機能するスーパーコンピューターで

あるからであり、

これまで通りに従順に役割を

果たそうとするからである。

 


五感や直感から受けた印象に対して

脳はそれまであなたがしてきた通りの

反応 (思考) を起こす。

 


あなたもあなたで、その提示された思考は

使い慣れたものであるから、 

即座にそれに乗っかって、

思考の船旅へと漕ぎ出していくのだ。

 

 

こうなってしまってはもう無意識である。

つまり自分が何をしているか

客観視出来ていないのだ。

その時エゴの首輪は外れ、

自分よがりに彩られ限定された価値観という

狭い世界に埋没し、内も外もその真の姿は

色褪せてしまうのだ。

 

 

そしてしばらく経って舟を漕いでいることに

気づき、"ハッと目覚め" また注意深い無心の

中心に戻ってくるのだ。

 


このようにして徐々に徐々にエゴを

明け渡していくのである。

 


しかしエゴの方も首輪をされて、

不自由な思いをしてなるものかと

何度も何度も必死で抵抗するかのように

思考習慣は根強く立ち現れる。

 


しかし今やあなたには、注意深くするだけの

確かな動機があるはずだ。

 

 

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意識 = 気 = エネルギー = 真理 = 知恵 =

覚醒 = 美 = 愛 = 光 = 神の一部

 

 

この事実を深く考え

エゴの脳裏に刻みこむのだ。

 


変化は少しづつである。

ゆえに時間はかかるかも知れないが、

あなたはやっと真理の甘美な瞬間に

気づけたのであり、

ようやく本当の在り方を知ったのだ。

 


あなたの人生に今後どんな災難が訪れようとも

あなたの魂はその経験を享受して

間違いなく成長出来るのだし、

エゴは大人しくなっていく一方である。

 

 

しかし真の在り方をしていた所で

物事は起こる。

 


魂は経験、感情を欲しているために

私達を人間として生かし、遣わしているのだ。

 


災害に合うこともあれば

親しい人の死に立ち合う事もあるし、

大怪我をすることもあれば

裏切られることもある。

 


だが意識の視点さえ手にしていれば、

それらの瞬間にも最善の選択をすることが

出来るのだ。

 

 

辛い時悲しい時に

一体どの様に考えるべきなのか…。

 

 

どう考える必要もない。

ただただ心の動きを

見ていてあげればそれでいい。

 

 

思考を助長するなかれ、

余計なことは言わなくていいのだ。

 


ただ寄り添って気にかけてあげることは、

真の愛の在り方であり、

それこそが唯一の解決方法であるのだ…🙏

 

 

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