心は身体を酷使する
誰もが生きる為に必要とあらば、
いくらでも惜しみなく
その身体を酷使する。
自分の立場、面子、責任、体裁、見栄、願望、
執着、怒り…行動の動機はいくらでもある。
例えどんなに疲れていようと
約束したなら仕事へ向かい、
約束したなら用事に向かう。
例えやりたい仕事でなくても
家族の為に、生活の為に、責任の為に、
目標の為、義務感にかられ、仕事へ向かう。
例えば学校で苛められ、
勉強になど興味もないし、
運動なんて苦手だし、
友達だって一人もいないし、
給食なんて食べたくないものまで
食べさせられるし、
それでも学校へ行く理由をつけては
嫌な思いをしてでも向かう。
病気がちな身体の健康には良くないと
知ってはいても、
ファーストフードやお菓子の数々、
添加物たっぷりのコンビニスイーツと
カップラーメンにうつつをぬかす。
心は心の赴くままに身体にどんな事でも
させる。
それが身体にとって良い事ならばいざ知らず、
どんなに悪い事であっても平気で身体を
酷使する。
身体の方はご主人様の仰せの通りに
右へ左へ何処へでも行き、何でもする。
時には暴力を使い、引き金を引いて他者の
身体を不能にする。
心が思い悩んでネガティブにばかり
考えていれば、身体に不調が現れて、
身体は文句の一つも言えず、
そこを治そうと一生懸命機能する。
身体に気持ちがあるならば、
きっとこう言うのではないだろうか…。
「私のご主人様はなんでこんな酷い仕打ちを
するのだろう…、なぜこんな状況に私を
追いやるのだろう…。」
魂が始める人生ゲーム
人間は魂・精神・身体の三位一体で成り立って
いる。
神の分け御霊である魂は
知識だけでは物足りず、
体験の中で生まれる感情を求めて
人間に降り立ち、人生ゲームの中にそれを
求めた。
魂は全ての感情を経験したいから、
必要とあらば自らのプレイヤーである人間に
どんな事でもやるように周辺環境を設定する。
生まれ育ち、親、環境。体型の美醜、顔、形。
事物の判断基準は、性格というプロトタイプに
委ね、母胎に宿った身体を空き物件のように
閲覧し、必要な体験が出来そうなその肉体に
つわりを伴って舞い降りる。
時には他の魂の経験の為に、
自らのプレイヤーを犠牲に差し出したりも
する。
精神はそんな魂の媒介として、身体と一緒に
生きている…否、生かしてもらっている。
意識という光の電源を入れてもらい、
人生ゲームを時には謳歌し、
時には右往左往する。
精神は自由に選択する意思を与えられているが
その状況は魂の求めた経験の場なのだ。
一つ一つの問題は、それを解決して
レベルUPを図る為の機会なのだ。
「意識」に気がつく
例えば合格点が80点で、30点しか取れなかった
のならば、合格するまで何度も何度もテストを
受ける事になる。
そのテストの機会を設定するのが
魂の役割なのだ。
テストは度々訪れる。
その問題が難しければ難しいほど
成長できうる機会である。
意識がなければ身体は起きていられない。
身体なくして人生ゲームはありえない。
身体が死んで精神だけが残ってしまえば、
地縛霊や浮遊霊として、三次元世界の地球
というスケールのゲームの世界にとどまること
になる。
問題解決には意識を用いる、
フォーカスを用いる、
注意力を用いる、集中力を用いる、
エネルギーを用いる、光を当てる、
愛を持ち寄る。
意識 = 気 = エネルギー = 真理 = 知恵 = 覚醒 =
美 = 愛 = 光 = 神の一部。
魂が必要とするものを享受するために
精神に酷な状況を与えるように、
精神もまた、問題に取り組み解決し
感情を経験するために、身体を酷使する。
身体はいつでも、最前線で痛くも気持ち良くも
体験する。
その都度心は反応し、良くも悪くも執着する。
悟りとは、良し悪しに翻弄されるゲームの
キャラクターに命を与えている「意識」
に気がつくことであり、
その中庸に在ることなのだ。
心が中庸に気付いていれば
身体もまた苦しみから解放される。
病が癒えるのだ。
身体を労ろうではないか。
心を労ろうではないか。
愛の化身である魂に触れれば
心も身体も充電される。
無心を選択することだ。
しかし最もシンプルにして究極のその在り方を
選ぶ人は稀である。
しかしこれを読んでいるという事実が、
あなたにその可能性を
示唆しているのである…🙏
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