​​求道者は黙して嘘をつく​…

「真理は "今ここ" 無心にあり!」無心から世間を眺める一風変わった賢視点をARTな写真と共に洞察していきます。

「お経の意味を知らずに唱えることの愚かさ」

 

f:id:gudosha:20200531083716j:image

 

 

お経の意味も知らないの…?

 

私が臨済宗のお寺で修行していた頃は、

毎日ことある毎に様々なお経を読み上げた

ものです。

 

 

朝課と呼ばれる朝一に本堂で行う50分間の読経の際には、

長短合わせて7〜8個のお経と文章体の文句を

唱えていました。

 

 

食事の際にも5〜6種類のお経を唱えながら準備をし、

片付けの最後にもお経を唱えました。

 

 

f:id:gudosha:20200531083755j:image

 

 

お寺ではお経の意味までは教わりませんでしたが、

天界の神様とコミュニケーションを取れる「拝み屋.神原さん」

お寺で唱えているお経の意味を聞かれて答えられなかった時には

「あなたお経の意味も知らないで唱えてるの、

 へぇ〜、あなたのことが大体分かったわ…」

とチクリとやられてしまいました。

 

 

その時はついでに

「普段から般若心経だけは唱えておきなさい」

と教えて頂いたので、

それ以来朝晩のお祈りの際には冒頭に般若心経を唱えるようにしています。

 

 

それからというものお経の意味を調べ、

忘れないように時々内容を確認するようになりました。

 

 

f:id:gudosha:20200531084053j:image

 

 

「言葉」に対する聖者の見解

 

思考妄想は念であります。

それも確かにエネルギーではありますが、

創造の三原則である思考 ➡︎ 言葉 ➡︎ 行動のプロセスからして、

やはり現実化は言葉のエネルギーによって

より強力なものとなると思います。

 

 

考えてみれば普段のコミュニケーションにおいて

言葉の意味を理解せずに話すことなどありえないのですから、

お経の意味を知らずに唱えていたのでは確かに理屈が通りません。

 

 

インド人の覚者 "クリシュナムルティ""臨済宗の禅問答" でも、

言葉を全否定するスタンスでした。

 

 

禅宗の開祖達磨大師は「不立文字」を唱え、

言葉ではなく五感を通した体験を重んじました。

 

 

f:id:gudosha:20200531084746j:image

 

 

対話以外の五感での体験は言葉なくしても果たされています。

その体験に注訳を挟むからややこしくなるのです。

 

月は決して月などという名前ではありません。

月という文字を当てはめておけば分別しやすいだけのことであって、

人間の生み出す創造においてはこの分別が重要となるから

そうしているだけなのです。

 

 

ゆえに "体験にも感情にも心にも" 本来言葉などどこにもなく、

言葉で分別してしまうから本来のあるべき姿が色褪せてしまって

物事がどこまでも真実から遠ざかるのであります。

 

 

しかしそうは言っても教えが言葉によって伝えられていることからも、

やはり言葉は媒介として、創造プロセスの一環として重要な役割を果たしています。

 

 

ということで簡単ではありますが、般若心経を超超超短訳した記事があるので、

よければそちらを参考にしてみて下さい…🙏

 

 

⬇︎超短訳般若心経⬇︎

「言葉は現実になるわよ」般若心経が教える知恵 - 求道作家のこだわりオーガニックど田舎生活

 

 

f:id:gudosha:20200531084834j:image

 

 

⬇︎求道作家のこだわりオーガニックど田舎生活…毎夜更新中⬇︎
https://sensan.gudosha.space/