言葉を軽んじてやしないだろうか。
私達は普段、言葉を無神経に使いすぎて
いるのかもしれない。
例えばそれは頭の中で行われる思考習慣。
歯を磨く間、電車を待つ間、
食事中や 運転中…。
例えばそれは会話において、
反射的に発する 言葉の数々。
意に反してお世辞を言ったり、
感情的に 言い返したり、
くどくど考えてみたり、
昨日見たTVを反芻してみたり。
言葉が自らの心、他人に与える影響の大小を
考えずに、言葉が偉大な力を持つと理解せず、
言葉を少々軽んじてやしないだろうか。
物心ついた頃から耳にしてきた
意味と内容を含んだその音は、
身近すぎてもはや扱い方に関しては
思慮するに及ばない、ただの意思伝達手段の
一つの媒介でしかないのだろうか。
自らの心を少し除いて見れば
言葉はあまりにも溢れ返っていて、
それは止まることを知らない
川の流れのようですらある。
乾いていれば一滴の水さえ貴重な存在で
大事に扱うというのに、
いつでも当たり前のように刻々と流れていく
そんなありふれた言葉には
もはや重要性はないのだろうか。
わざわざ散らかす事をする
自然界のことはさておいて、
私達人類がこれまでに形成してきた
人間社会やかつての歴史、伝統技術、
科学の継承は言葉なくしては
あり得なかった。
人間社会に溢れる物は全て発明家による
言葉の産物である。
(芸術はまた別の話である)
人間社会が言葉によって形成されたのであれば
それぞれの人生も言葉によって形成されている
と言って差し支えないかもしれない。
他人からの優しい言葉は耳障りが良く
心地良くて温もりを感じる。
力強さに溢れ、生き生きとして晴れた気分に
なる。
それに比べてネガティブな言葉は居心地が悪く
表情が暗くなってしまう。
陰鬱な気分になって胸騒ぎがする。
他人に向かって粗野な言葉を使えば
相手の注意力を奪えるから
言っている方はその時は力強く感じるかも
しれない。
頭の中でネガティブな独り言を呟いてる時は
自らのエネルギーを浪費しているにすぎない。
それはわざわざ部屋を汚しているような
ものである。
何もしなければ綺麗なままなのにわざと
散らかして居心地を悪くしてしまっている。
私達の多くは事実全くその通りのことを
している。
そして目の前の他人を自分の部屋に招き入れて
その汚い部屋に巻き込むのだ。
心も身体も空にしてく
あなたの心の部屋の状況に応じて訪れる
来客の質は変わる。
好んで何度も訪れる人は自分の心の部屋と
似た様な居心地の良さを感じているのだ。
また、自らを卑下するような考え方は
汚い部屋について愚痴る様なものである。
その否定的な考え方が掃除をするきっかけと
なるのならばまだ良いのだが、
ただ単に文句を言っていたのでは
なんの解決策にもならないし
気分まで悪くなってしまう。
私達は発した言葉を簡単に裏切るが、
言葉が私達を裏切った事はかつて一度もない。
"自己啓発で言われているように願望が
実現しない"
と言う人が多くいるが、
それは全く逆である、
むしろ全ての願望は実現しているのだ。
自らが頭の中で、また他人や社会に向けて
話している言葉の一言一句に注意深くなれば、
言葉がどれほど現実化しているかと
知る事が出来るだろう。
少なくとも感情のレベルでは
言葉の持つ波動に常に影響を受けている。
あなたはレストランに入って全てのメニューを
注文するだろうか。
頼んだところでそんなに食べることは
出来ないはずだ。
ではその時一体どれに手をつけるのか。
先に来たものではないか、
食べ慣れたものではないか、
記憶にあるものではないか、
CMでよく見るものではないか。
食べる量には限界があるように、
現実化、現前する思考にも限界がある。
あれこれ注文するのをやめてみれば、
頼んだ通りのものが出てきたと
確かに確認しやすくなる。
その一品をよく味わおうではないか、
その為にも心を空に、
お腹を空かせておこうではないか…🙏
⬇︎求道作家のこだわりオーガニックど田舎生活…毎夜更新中⬇︎
https://sensan.gudosha.space/
#感情のレベル #言葉が偉大な力を持つ
#一言一句 #自己啓発
#否定的な考え方 #粗野な言葉
#意思伝達 #無神経な言葉