​​求道者は黙して嘘をつく​…

「真理は "今ここ" 無心にあり!」無心から世間を眺める一風変わった賢者の視点をARTな写真と共に洞察していきます。

「禅の逸話」…その4. 無名の慧能、"本来無一物"

 

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六祖 "大鑑慧能" 禅師

 

達磨大師がインドから中国に渡って洞窟に篭り

"面壁九年" の行によって"禅" が花開いたのは

西暦530年頃であった。

 

 

達磨大師から数えて五祖である "弘忍" (ぐにん)

の元には当時700名を超える弟子があり、

その中にはいずれ六祖となる "慧" (えのう)

の姿もあったがまだ弟子ですらなかった。

 

 

慧能は元は中国の南の出身で、

幼い頃に父を亡くし、

一家の家計は若き慧能の薪割り仕事によって

賄われていた。

 

 

ある日慧能は、薪割り仕事に向かう道すがら

あるお坊さんとすれ違う。

 

そのお坊さんはブツブツと口に何かを

唱えながら歩いていて、気になった慧能は

お坊さんを振り返ってその声に耳を傾けた…。

 

 

「…応無所住而生其心」

 

 

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慧能は僧が呟くその言葉がなんだか気になって

その僧を呼び止めた…。

 

 

「あの、お坊さんすいません…それはお経か

何かですか…」

 

 

僧は足を止めるとそれが "金剛経" である

と教えてくれた。

 

一体どういう意味なのかと尋ねると、

「まさに住する所無くして、しかもその心

生ずべし」であるという。

 

 

その言葉の持つ真意にただならぬ胸騒ぎを

感じた慧能は、金剛経についての僧の解釈を

聞き、「それはどこで教わったのか」

と興奮混じりに僧に詰め寄った。

 

 

「東山の弘忍禅師である」と答えた僧に

「是非私もその方の元で学びたい」と言った

慧能だが、しかし薪割りで家計を支えている

身上を考えるとそうもいかないのだ、

と心情を吐露した。

 

 

話す中で慧能の見識を見抜いたこの僧も

また立派な人物であったようで、

「母君の生活は私が見るから

あなたは東山へ行きなさい」 

とそう申し出てくれた。

 

 

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慧能の弟子入り

 

遠路はるばる10日に及ぶ徒歩行の末、

ようやく東山に辿り着いた慧能は

となるためにあなたの元で修行がしたい」

と弘忍禅師に謁見する。

 

 

当時の中国の南側は北に比べると

まだまだ文明が遅れていて野蛮な地であった。

 

慧能の才覚を確かめるために弘忍は不躾に

「お前は仏になりたいのか…しかし南の人間に

その資質が備わっているだろうか」と問うた。

 

 

思いもよらないその一言に、若き慧能は

どう思ったのかは分かりかねるが、

それでも慧能は自信たっぷりと

人の資質に南北の違いがあるでしょうか、

仏の教えに南北の差があるのでしょうか」

とさらりとこう言ってのけた。

 

 

お寺にいることを認めた弘忍ではあったが、

読み書きが出来ないうちは他の者と一緒に

なって学ぶ事が出来ないと思い、

読み書きを覚えるまでは出家ではなく

有髪で米つき小屋に従事するよう申し伝えた。

 

 

"その間くれぐれも余計なことは考えず、"米"

の一字を念じて米になりきれ"、と言いそれから

慧能は米つきになりきった。

 

 

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"米つき慧能" 法衣を受ける

 

それから数ヶ月が経ったある日、

弘忍は兼ねてから考えていた後継者選びを

行うべく、700人に及ぶ弟子に

「これまでの修行の成果を喝にしてここに

貼り出してみよ」

とのおふれを出した。

(喝とは自らの悟りの見識を表現する言葉である)

 

 

これにいち早く応じて喝を立てたのが

高弟にして第一座であった "神秀" であり、

彼は誰からも一目置かれていた。

 

そこにはこう書かれていた…。

 

 

「この身は是れ菩提樹なり、

心は鏡のようなもの、

いつでもこれを磨き清めて、

塵芥の積もらないようにせよ」

 

 

この喝を評して弘忍は

「このような心境で

修行に励めば良き結果を得るだろう」

と一応は褒めた。

 

それを聞くと弟子のうちの誰もが

「やはり神秀こそが弘忍の法衣を受け継ぐ

ものだ」

と信じて疑わなかった。

 

 

この事を知らなかった慧能は、

ある日米つき小屋でこの事を聞いた。

 

喝の意味を教えてもらうと、

是非自分も喝を貼り出したいと言い、

しかしまだ読み書きが出来ないからと

修行僧に頼んで喝を書いてもらった。

 

 

神秀の横に張り出された喝にはこう書かれ

ていた…。

 

 

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本来無一物

 

 

「菩提と樹とはなんの関係もない、

心は鏡のようなものではない、

本来からして無一物であるのだ、

塵芥の集まるはずがない」

 

 

菩提とは悟りの境地である。

 

「この身体は悟りを得るための器なのだ」

と言った神秀に対して、

「菩提と樹とはなんの関係もない」と言い、

 

「そもそもからして何も無いのだ、

何も無いのにどうして汚れることがあるのか」

 

と禅宗の歴史において後世に残る最も有名な

喝の一つである "本来無一物" を唱えた

のである。

 

 

これを "是" とした弘忍はしかし公には評価

しなかった。

そんな事をすれば大問題になると分かっていた

からだ。

 

 

夜中になりこっそりと米つき場に現れた弘忍は

慧能を見つけるなり

「慧能よ、米は白く炊けたか?」

つまり "貴様、解ったのか" と問うたのである。

 

その真意を汲み取った慧能もまた、

「はい、白く炊けました」

と請け合い、

ここに自分の法衣を慧能に渡したのである。

 

 

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形はなくとも事は成す

 

これは大事件であった。

禅宗という一大教団の次期当主が、

まだ出家も剃髪すらしていない一介の米つき童

に託されたというのだから大変な騒ぎである。

 

 

弘忍によってこっそりと山中に逃げた慧能は、

数年間は身を隠して時を待ち、機を見計らって

街へ出てきたのである…。

 

 

 

街へ出てみるとあるお寺で「涅槃経」の講和が

あると聞き、慧能はそのお寺を訪ねた。

 

すると大勢の僧がいて何やら騒ついている。

 

 

境内には講和があることを知らせる為の一本の

旗が立てられていた。

 

 

風になびくその旗を指して一人の僧は

「風が揺れている」と言い、

もう一人の僧は

「いや、旗が揺れているのだ」と言い、

どうにも決着がつかない。

 

 

その大勢の言い合いの渦中に歩み出た慧能は

一言言い放った…。

 

 

「風も旗も揺れてはいない、揺れているのは

むしろお主らの心ではないのか」

 

 

この一言に誰もが言葉を失い、

そのことを後日聞いた印宗は慧能を呼び寄せ、

彼こそは弘忍の法衣を受け継いだ者だと見極め

出家の習わしに則って手順を踏み、

ここに "六祖慧能" が誕生したのである。

 

 

その後隆盛を極めた禅宗五家七宗の殆どが

慧能の系統であることからも、

慧能が禅宗における最重要人物の一人で

あることは間違いない。

 

 

これは必ずしも修行という形に捉われずとも、

在家だろうが米つき係だろうが、

己の内で確かな実践を行っていれば

"事は成就する" という良い例ではなかろうか。

 

 

掃除屋に身を置きながら "無心に徹した"

当時の私の実践を勇気づけてくれた

禅の一つの逸話である…✍️

 

 

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