不自由な初まり
"人生とは真に自由なもの" ではないだろうか。
生まれてからしばらくの間は
手取り足取りお世話をしてもらい、
身近な社会やコミュニティのルールといった
常識を身につけ、
その様に振る舞うことが当たり前と考える
ようになる。
物心つく以前には、唯一自由に動かせると
直感的に分かっていた身体であるが、
その行動においては、お世話をしてもらい、
社会の秩序に身を置くことによって、
自由な行動はある程度の規制を求められた。
それに対して、思考やイメージは物心ついた頃
から心の中で唯一自由に扱える王国であった
はずだ。
肉体の行動的には社会の秩序を維持するために
ある程度の規制が求められるが、
少なくとも私達は皆 "自由に考えられる" という
点において、等しく自由に選択する権利を
与えられているのではないだろうか。
ある人の人生を見れば、人生が真に自由である
ようには見えないかもしれない。
実際に "自分の人生が自由ではない" と言う人も
多いのではなかろうか。
生活する為のお金さえあれば、
好きな事だけして暮らしていたい、
とそう思う人は多いのではなかろうか。
ではなぜ人生は不自由に思えるのだろう。
人生においての真の自由とは一体なんなの
だろうか…。
真の自由とは…
ミクロ (極小) の世界からマクロ (極大) の
世界まで等しく当てはまる宇宙の法則は、
スケールを変えて考えてみれば
その法則の存在が浮き彫りとなる。
個人という組織に当てはまる概念は
チームという組織にもあてはまり、
社会という組織にも当てはまり、
国や地球という組織のスケールにまで
当てはまり、それはつまり組織において
通底した概念と考えられる。
その観点から、スマホを例にして
"人における真の自由" について考えてみよう。
基本的な性能を備えたスマホに様々な情報を
入力していくと、コンピューターはそのデータ
の中から私が好みそうなものをチョイスして
提示してくるようになる。
私はその提示されたデータの中から好みの
ものを選ぶ。
コンピューターは私の選択を覚えて次の時にも
そのデータを提示してくるようになる。
私の目的は創造することにある。
コンピューターの役割はその創造を
具現化する為の前段階、情報提供である。
私はコンピューターの提示した情報を選んで
行動に移す。
行動は肉体の役割であり、
その動因はコンピューターの提示したデータに
基づいている。
脳の中にもコンピューターと同じ機能を備えて
いる部分がある。
私達は生まれた瞬間から脳という
コンピューターに五感と思考によって
情報を入力し続けてきた。
そして脳はその都度その都度過去のデータから
私が必要としそうな情報を持ち出して、
私はその情報に基づいて、それを選んで
行動してきたのである。
その一連の流れはもはや自動化されてしまい、
私がその都度行ってきた選択はむしろ不自由
であるかのようにすら見え、
そこに人生の真の自由を見出すのは難しい
ように思える。
私達の脳はスーパーコンピューターよりも更に
ハイスペックである。
コンピューターの自動化は脳の怠惰な特性に
似ており、提示した情報の中から毎回同じもの
ばかりが選択されるのであれば、年を重ねるに
つれてその自動化は堅牢に、そして楽に
行われるようになっていく。
その自動化された選択はもはや不自由にすら
見えてしまう。
選択してきたのは当の本人であるのに、
今となっては同じものばかり選択せざるを
得ない状況になってしまっている。
その選択の仕方は余程のことがない限り
変えようとは思われないし、
"人生は不自由なものである" という価値観は
もはや常識となってしまっている。
では人生における真の自由とは何か。
一体どのようにすればそれは手に入るのか。
今日の所は問題提起までとして、
明日その実践方法に迫るとしよう…✍️
求道作家のこだわりオーガニックど田舎生活…毎夜更新中⬇︎
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