開業当初
今年で62歳になった私が「祈り屋」として
活動しだしてから早20年が経った。
始めた当時は、お祈りと言えば神社で祈祷して
もらうか、教会で行われている、というのが
一般的な認識であったし、実際に職業として
「お祈り」だけを専門にしている法人は
なかった。
しかし今となっては同業者も多くなり、
ようやく職業欄に「祈り屋」と書いても、
「お坊さんですか?」と言われることは
なくなった。
全てのWebサイトの中にとは言えないが、
職業欄に 「祈り」という項目も置かれるように
なった。
アイデンティティ
盲信的な私の性格は、母親の遺伝か、
生まれつきの基本スペックなのか、
或いは二つ上に兄がいるせいで、
幼い頃から見知らぬ内に兄の真似をしてきた
からなのだろうか…。
きっと全てが合わさっていたのかもしれない。
子供の頃から私はとにかく人真似ばかりして
きた。
小学生の頃は兄の洋服を勝手に着たり、
兄の録画した深夜のお笑い番組のビデオを
こっそり見たりして育った。
友達の輪の中でも、誰かについていくばかりで
自分から新たな遊びを見つけるような
タイプではなかった。
しかしまあ考えてみれば子供なんてのは
模倣の連続で成長していくのだから、
特別変わったことでもないのかもしれないが、
それにしても、私の模倣癖は際立っていた
ように思える。
友達や先生、芸能人なんかの喋り方や笑い方、
仕草や牛乳の飲み方まで、気に入ったらすぐに
真似をするようなそんな子供であった。
もはやそうする事が自分のアイデンティティ
なのかとすら思っていたが、
28歳の頃から本格的に始めた瞑想のおかげか、
それとも自分の中に経験値が十分蓄積された
からなのかは分からないが、とにかく人真似を
する様なことはなくなった。
順調な経営
東京で建築業の会社を数名で営んでいた
40歳の頃、仕事は年を追うごとに右肩上がりに
成長していた。
当時の私は10名ほどの従業員を抱えていて、
その規模の中小企業の社長が大体そうである
ように、私も先頭を切って獅子奮迅の
働きっぷりをしていた。
昼夜問わずあくせく働いていたが、
しかし本心では、
「別に私でなくても良いのではないか…」
という気持ちがあった。
それはつまり、私の会社がやらなくても、
結果が同じなら、誰がやってもいいのでは
ないか。
というものであった。
その頃の夢はお金を貯めて、早々に引退して
"お寺に出家する" というものであった。
しかし、お金を自由に使える事に喜びを感じて
いたのも事実で、ゴルフに夜遊びにと、
中小企業の社長らしい遊びに興じるように
なっていた。
そして本当にやりたい事と、やるべき事の
狭間で悶々としていたそんな41歳の厄年に
悲劇は起きた。
ここ数年無理が過労がたたって
私は倒れてしまったのだ…🙏
求道作家のこだわりオーガニックど田舎生活…毎夜更新中
https://sensan.gudosha.space/
#祈り #prayer
#過労 #厄年
#獅子奮迅 #中小企業
#出家 #アイデンティティ
#建築業 #右肩上がり