青森での穏やかな生活
青森県の別荘地へと引っ越してきたのも、
妻の出身地であったからだ。
青森へ来て半年程は仕事もせず
ゆっくりと過ごしていた。
起きたい時間に起きて、日がな一日散歩を
したり、スピリチュアルな本を読んだりして、
仕事のストレスに追われることがなくなると、
あんなに好きだった肉食やお菓子にも
興味がなくなり、自然と有機野菜中心の
食生活になっていった。
拝み屋さんに教えてもらった感謝の祈りは、
食事をするくらい日常的なものとなり、
毎朝毎晩神棚の前で、心を込めてゆっくりと
声に出してお祈りするようになった。
のんびりした日常にあっても、
その当時の私の関心事はやはり出家に対する
もので、出家と言って宗教にと言うよりは
座禅や瞑想に興味があった。
出家願望があるとは言え、数年も行くつもりは
なく、半年程度の住み込みで座禅でも瞑想でも
いいから、とにかく座る事に打ち込めれば
それでいいと思っていたのだ。
なぜそうしたかったのかは分からないが、
スピリチュアルに対する憧憬は昔からあって、
建築業に従事してはいたが、
いつかそう言った仕事に就きたいと本音では
思っていた。
ヴィパッサナー瞑想センター
色々と調べてみたところ、
ヴィパッサナー瞑想センターという仏教系の
組織に行き当たった。
当時のヴィパッサナー瞑想センターは日本には
京都にのみセンターが置かれ、
そこでの10日間コースは一日約11時間も瞑想を
するという、当時の私にとってはこの上ない
場所であった。
その期間中は無言、人と目も合わさず、
携帯電話、読書、メモ、PC、思考に至るまでの
一切を禁止され、しかも料金はお布施、
非営利団体という極めてポジティブな組織で
ある。
今では千葉にもセンターが作られ、
京都、千葉共に10日間コースが毎月2回
行われているが、常に満員御礼状態である。
コースの運営も全てボランティアで
なされている為、半年間の住み込みも
可能であった。
しかし、住み込み期間中に生徒としてコースに
参加出来るのは3回に1回で、
2回は生徒さんのサポートに回る従事者で
あるが、それでも時間を見つけて一日6時間は
瞑想することが出来た。
28歳から本格的に始めた瞑想とは言え、
ヴィパッサナー瞑想センターで
指導を受けるまでは見様見真似で行っていた。
引っ越してからは時間だけはたっぷりと
あったから、毎朝晩30分づつ呼吸法の瞑想を
行なっていた。
当時の私は41歳。
瞑想歴こそ13年目であるが、
まだまだ熟練者と言えるほどの集中力もなく、
ただただ止まることのない思考に翻弄されて
ばかりいた。
それでも瞑想する事に対する追求心が
衰える事なく、色々な本やインターネットから
心を落ち着かせる方法を学んでは、
毎朝晩になると意気揚々と座っていたので
ある。
しかし、いつかはきちんとした体系で学びたい
と思っていたので、
青森で半年程生活した後、ヴィパッサナー瞑想
センターに半年間滞在する事にした。
愛の教え
瞑想センターでの半年間は素晴らしいもので
あった。
何より、教義こそないが "愛の教え" である
組織の雰囲気がとてもよく保たれていた。
ボランティアの中にはルールに厳しい人や、
あまりやる気のない人もいたが、
「とにかく自分の思考習慣と、
基本的には五感の感覚に意識を向け、
常に笑顔と優しさを持って人と物事に
当たりなさい」
という教えは簡単ではなかったが、
とても気が楽なものであった。
その指針さえあれば誰のことも恨む必要がなく
文句を言う必要もなかったからである。
誰の何事も詮索しなくていいのかと思うと
気楽だったのだ。
ヴィパッサナー瞑想センターでは、
特に生徒として参加している時は、
お祈りなどの宗教的儀式は禁止されるのだが、
感謝のお祈りだけはなぜか頑なに
欠かさず行っていた。
「祈り屋」の構想が初めて閃いたのも、
そこで瞑想をしている最中であった…🙏
求道作家のこだわりオーガニックど田舎生活…毎夜更新中
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