相談
青森に越してきて唯一の顔見知りとなった
老人に、思い切って祈り屋の構想を話して
みた。
実験データによる数字を何よりも重んじる
であろう現実主義的な科学者にとって、
私の考える "祈り屋" としてのサービスは
一体どう映るのか。
"否定的な意見を聞きたくない" という反面、
"科学者の賛同が得られれば心強い"
とも思っていた。
いつもは散歩に出るタイミングで会うくらい
の付き合いだったが、その日は長く待ち伏せ
して老人が来るのを待っていた。
別荘地にある埃をかぶったベンチに
風呂敷を敷いて、散歩にやって来た老人に
「実は聞いて頂きたい話があるんです…」
と言って2人してベンチに腰掛けた。
ニュートンの言い分
単刀直入にしか言うことの出来ない程に
詰めの甘い祈り屋の構想を、意外にも老人は
面白がってくれた。
「現実主義的な科学者には、到底 "祈り" なんて
言う、目に見えないものは理解されないんじゃ
ないかと心配してたんですよ…」
私が安心した様子でそう言うと老人は、
「はっはっはっ、目に見えない物事を説明する
のが科学ではないですか。
科学者に言わせれば、見えないからこそ興味を
そそられるんですよ。
我々のような人種は、初めこそ目に見える物事
しか信じないような輩ばかりですが、
長く研究に身を置くと、知れば知るほど、
本当は殆ど何も知らないんじゃないかと考える
ようになるのです。
アイザックニュートンがこんな事を言ってまし
たよ…。
私は、海辺で遊んでいる少年のようである。
時折、普通のものよりも滑らかな小石や
かわいい貝殻を見つけて夢中になっている。
真理の大海は、全てが未発見のまま広がって
いると言うのに…。
本当にそうだと思います。
科学者と言って全てを解明しているつもり
でも、この木一本についての正しい完璧な情報
さえ説明出来ないのですから、全てを頭で理解
する事なんて到底出来ないんですよ。
だからこそ、お祈りのようなことには可能性を
感じるんです。
なぜならそこには心がある。
しかもそれは慈愛に満ちたポジティブな心だ。
そう言った気持ちが作り出す物事と言うのは、
これからの社会にとって本当に必要なもの
なんですよ。
癒しは愛から起こるのではないでしょうか。
医療の道具にしたってすべて
"病気が良くなってほしい" と言う気持ちが
具現化したものじゃありませんか。
科学の台頭によって便利さが追求され、
目の前の幸福を優先する人々の価値観は
もはや常識となってしまいました。
私は長年癌の研究に関わってきて、
様々な治療法を見聞してきました。
その中には驚くべき成果をあげているものも
あるのです。
癌という病気が日本人の死亡原因の最大要因で
あるにもかかわらず、本当に役に立つ治療法が
推奨されず、日の目を見ないような社会情勢では
病気は決して解決されないのです。
正直なところお祈りで病が完治するかどうかは
分かりかねますが、やってみる価値は大いに
あると思われますよ」
そこまで言ってもらえるとは思っていなかった
反面、"安易な気持ちでやるべきじゃない"
とも思った。
話の中で老人は、「よかったら実際の患者さん
に対して臨床してみてはどうですか」
と箴言してくれた。
この老人の一言で、この先に実際の患者さんに
対して祈りを行う実験を行ったのだ。
その実験データは "祈りが病気にも効く" と言う
事実を証明してくれるものであった…🙏
求道作家のこだわりオーガニックど田舎生活…毎夜更新中
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