​​求道者は黙して嘘をつく​…

「真理は "今ここ" 無心にあり!」無心から世間を眺める一風変わった賢者の視点をARTな写真と共に洞察していきます。

「禅の逸話」…その7. 香嚴の木登り その2

 


【朗読】[禅問答小説]禅の逸話 #7 香嚴の木登り/その2(2/2)【短編】

 

 

 


【ASMRささやき】[禅問答小説]禅の逸話 #7 香嚴の木登り/その2(2/2)【短編】

 

 

 

 

 

f:id:gudosha:20200722110219j:image

 

 

無門関とは…

 

「禅の逸話」シリーズは、主に禅宗の一派で

ある臨済宗で行われている「公案・(禅問答)」

に用いられている二つの教科書的バイブル、

「無門関」「碧眼録」の中から抜粋して

私なりの注訳をつけてお送りしています。

 

 

「無門関」とは、中国宋代の禅僧

"無門慧海禅師" によって編集された

四十八則からなる公案集です。

 

 

無門関の構成は一則ごとに、

「本則、評唱、頌(じゅ)」からなり、

 

  1. 本則は公案問題
  2. 評唱は無門禅師の禅的解釈・批評
  3. 頌は無門禅師の作った禅的な漢詩

 

です。

 

 

今回の「香嚴の木登り」は、無門関からの

引用です。

 

 

f:id:gudosha:20200722111319j:image

 

 

達磨の真意、無門の評唱

 

さて、昨日の続きである本題に戻りましょう。

 

 

断崖絶壁の崖の上にある木を咥えたまま

手も足も出ず、

「達磨さんがインドからやって来た真意」

を問われて、さてなんと答えれば是とされるの

でしょうか。

 

 

この公案に対して "無門禅師" は、

評唱で次のように語っています。

 

 

「たとえ滝の水が如く滔々たる弁舌も、

ここでは全く役には立たぬ。

 

 

また、どれだけ経典を覚えていようが

説くことも出来ない。

 

 

もし "ここ" でピタリと答えることが出来たら

これまで死んでいたものを活かし、

これまで活きていたものを殺すことに

なるだろう。

 

 

或いは応対出来ないなら、未来仏である

弥勒菩薩が、お釈迦様の死後56億7千万年後に

到来すると言うから、その到来を待って尋ねて

みるがよい」

 

 

 

うーむ、これは厳しいお言葉です。

どんな知識も役には立たず、

しかし応えられないのなら死んでも成仏など

せず、弥勒菩薩が現れる56億7千万年後まで

そこで待っていろ、とこういう訳です。

まさに "行くも地獄…引くも地獄…" 

 

 

f:id:gudosha:20200722110653j:image

 

 

私なりの答え

 

さて、私なりに色々と調べてみましたが、

どうにも私の琴線に触れるものは

見当りませんでした。

 

 

しかし、江戸時代の怪僧

"仙崖 (せんがい)禅師" がこの公案に遂に挫けた

その様を本で読み、私の中で閃いたことが

ありました。

 

 

そして、瞑想中にこの公案のことがふと頭に

浮かび、答えを自らの内に問うてみたところ、

琴線に触れるものがありましたので、

それを私なりの答えとしておきます。

 

 

 

まず、仙崖和尚でありますが、この問いに対して

弁舌を持って答えたが、とうとう印可は貰えず、

跡を継ぐはずであったお寺の住職資格を

他人に奪われてしまいました。

 

 

自らの不甲斐なさと、これまで学んできて

大事にしていた経典の数々が、この土壇場で

何の役にも立たなかったことに落胆して、

書物を全て焼き払ってしまいました。

そしてお寺を後にしました。

 

 

無門禅師の評唱にも

"口に頼らず一切の知識を捨てよ" 

とあることから、やはり論理的思考には

解決の糸口はないのでしょう。

 

 

先の質問にある達磨大師の真意とは

そもそも何か。

 

 

それこそ達磨大師の残した "四聖句" 

あるのではないでしょうか。

 

 

四聖句とは…

 

  1. 不立文字
  2. 教外別伝
  3. 直指人心
  4. 見性成仏

 

 

つまり、

  1. 経典などの言葉に頼らずに体験を大事にし
  2. 言葉や文字に頼らず、心と心で直接伝え
  3. ただひたすらに己の心を見つめ
  4. 自らの内に本来備わっている仏に出逢う

ことであります。

 

 

では崖の上の木にぶら下がって

どうやって伝えるのか…。

 

 

しかし、そもそもそんな状況で落ちぬように

している時点で、

必死に生きようとする生き様

あるではありませんか。

 

 

その必死さが伝わらぬのなら、

ギョロリと相手の目を睨みつけて、

両手両足を堂々と広げ、

 

 

「どうだ、よく見ろ、生きるとはこういう

ことだ。

 

 

貴様は達磨がなんだとかのたまっておるが、

その前に畑は耕したのか、子供は育てたか、

妻に苦労はさせていないか…。

 

 

いいや、まだまだ足りんはずだ。

 

 

どうだ、儂のこの生き様を見てみろ、

死はもうすぐそこまで来ておるのだ、

この事実が貴様には分からんか。

 

 

人に物事を尋ねる前に、まずは自分に問うて

みてはどうだ。

 

 

儂を見る前に自分の姿を見ろ、窮地に立ってる

のはむしれ貴様の方かもしれんぞ!」

 

 

と、言葉にこそ出せずとも、

心にその気持ちがあれば、達磨大師の真意は

表現出来るのではないでしょうか。

 

 

何事も要は、見る側の、受け取り方の問題に

尽きるのではないでしょうか。

 

 

f:id:gudosha:20200722110400j:image

 

 

しかし、それはあくまで理屈での話であって、

さて室内 (参禅の間)において師の前で

どう答えるでしょうか…。

 

 

私ならば、左手で思いっきり自らの首を絞めに

かかって、それを右手で止めにかかります。

 

 

しかも両手とも全力で。

 

 

一進一退の攻防、私の首を掴んで思いっきり

引っ張る左手、その左手を必死に食い止める

右手。

 

 

しかし、私の表情は腕の力で力んでこそ

いますが、そんなことにはお構いなしで、

涼しい目つきで目の前に座る師匠の目を

ジッと眺めています。

 

 

果たしてこれで通るかは分かりませんが、

今の私に出来ることはこれくらいのことで

あります…🙏

 

 

f:id:gudosha:20200722112109j:image

 

 

求道作家のこだわりオーガニックど田舎生活…毎夜更新中
https://sensan.gudosha.space/

 

 

#香嚴の木登り  #無門関

#碧眼録  #禅の逸話

#一進一退  #参禅の間

#不立文字 #教外別伝

#直指人心   #見性成仏

#達磨大師  #四聖句

#無門慧海  #仙崖和尚